ある研究員の blog

日頃感じていることや、楽しいこと、疑問に思っていること、技術的なものなどを綴っていきます。

生産性をあげるテクニックー研究手法の開拓#1

常日頃研究業務に携わっていて、あるいは論文を書くという作業を実際に行っていて、生産効率を上げるテクニックは無いのだろうかと常に考えて仕事をしている。それについて、せっかくなので、これから数回かけて今まで考えてきたことを公開していこうと思う(最後まで続くかどうかはわからない、、、し、読者の反応によるかもしれないので、やる気に依存しているので悪しからず)。

日本において、研究というものを行う場合、(特に筆者は自然科学を対象としているが)私が学生の頃からある意味では伝統的な手法を用いてきた。仮にこれをメソッド1と名付けよう:

メソッド1:

→データをとりあえず全ての項目について出す

→データをよく見る

→データをある軸で統計解析あるいは相関を取ってみる

→なんとなーくとある軸に沿った違いが見えてきた

→論文を書いてみる

このような手法を用いることが割と一般的であろうと思う。特に学生時代はデータを出さないと!!!と思ったり、データを出すのが楽しいために、データ重視になることが多い。また特に最後の論文を書いてみるという作業は学生を含め、博士を卒業して研究者になっても(そして実は英語を母国語にしている人たちにとっても)割と苦戦する部分であろう。しかしながらこのような手法でしか研究というものはできないものなのだろうか?・・・と考えたのが数年前の話である。で、数年間考え続け、得られた結論としては、生産性を上げるメソッドは無限大にある、ということだ。しかしながら研究のメソッドというものを考えずにいると、思わぬ苦戦を強いられることとなることも多い。

・・・とここまで書いておいていうのも何だが、近年、筆者の分野においても英文で、インパクトファクター(結構賛否両論なんだけど・・・)の高い雑誌以外は評価しない風潮があることに言及しておく。つまりここに書くことはそこそこインパクトファクターがある英文誌に論文を書くことを前提で書いている。ついでに言及しておくと、筆者は30歳くらいまでは上記の伝統的な手法で研究を進めた経験があり(当時はそれしか研究方法が無いものだと思っていた)、近年用いている手法に切り替えた経験がある研究者である。つまり、どちらも経験しているので、両方のメリットデメリットを割と知っていると言えよう。

(話を戻して)では、上記の手順で研究・実験をやっていく場合、どのようなデメリットがあるのだろうか?

  1. どのような結果が出てくるかわからないので、割とワクワクしながらデータを出せる
  2. 面白い結果が出たときはすごく面白いが、何もわからない可能性もある
  3. もしわかっても、それがとある軸に沿っているかわからない→相関の罠
  4. いつまでどのくらいデータを出せばいいのかわからない
  5. 論文を最後に書くときに、どのように書いたらいいか良く分からない

 筆者は近年この伝統的な手法を使用していないので、少しデメリットを強くかいてしまったかもしれないが、何となくデメリットが大きいことがわかるだろうと思う。一方で、上記1に関していえばそれがサイエンスだ、、、という部分も否定できないので、この手法を全て否定しているわけでもないという点について言及しておく。そして最後の5のポイントは研究者にとって最も重要なポイントだろうと思う。実験も一年間やり続けて、最後の最後で「論文書けません」となりかねない。つまり当たり外れが大きいということだ。